
「ねえ、明日も早いんでしょう。早く寝なよ」
「気分じゃない」
妹が、スマホをいじりながら俺を諭してくる。早く寝ろと言いつつも、部屋に入ってきてスマホ弄りとは、一体どういうつもりだろうか。お前も早く寝ろ。明日学校だろうが。
「お前も明日学校だろ」
言葉に出してみた。
「残念でした。明日は休みー」
「……高校生って試験が終われば休みがあって羨ましいな」
「大学生だった頃はもっと休みがあったでしょ? ってか、社会人ならそれくらい自制して、さっさと寝なよ」
妹の言い分はごもっともである。
だが、どんなに頑張っていても、明日が面倒臭くなってしまう夜というのは存在する。
しかし、明日が面倒臭くなっても、時間が経てば、無慈悲に明日はやってくる。誰かが作った社会の中に溶け込むには、明日の朝、いい感じの時間に起きて、活動しなければならない。そしてその為には、あまり夜更かしもしていられない。
「コンビニ行ってくる」
「太るよ?」
「コーヒーにするって」
「深夜ってコーヒーやってたっけ」
「缶コーヒーくらい売ってるだろ。ってか、休みだって早く寝ろよ」
「ガキ扱いすんなし!」
大学生時代に背伸びして買った上着を手に持って、俺は部屋を出た。この部屋は二階。一階では、両親が眠っている。なるべく音を立てないようにゆっくりと階段を降りた。
「はいっ!」
ミッションは失敗。父親に気づかれてしまい、呼び止められた。
「こんな夜中にどこへいくんだ」
「コンビニだよ」
「お前も、もう社会人だろう。いつまでも学生気分でそんなことをしていて、許されると思うなよ」
父親が廊下に仁王立ち。良く言うなと、俺は思った。高校生までは、子どもに選択肢は無いみたいな態度を取られていたし、大学生の頃は、学生らしく学べとうるさかった。社会人になってもこのご様子とは、なんだか話が違うぞと思っている。俺もそろそろ一人暮らしを考えるべきだろうか。
「ちょっと行ってくるだけだろ」
父親を無視して、俺は靴を履き、鍵を持って出かけた。
寒い夜だった。耳と、指先がピリリと痛む。ぼんやりと、冬だなあと思った。
上着のポケットからイヤフォンを取り出して、耳につける。適当に流れてくる音楽の音量をあげて、近くのコンビニに向かって歩き出した。
「めっちゃ気分いい」
何もかもから解放された気持ちで満たされた。
住宅街の狭い道には、誰もいない。明かりは点々としていて、危険はそんなに感じない。不思議と、この世界が自分だけの居心地のいい空間だと感じたのだ。
なんとなく耳から流れてくる音楽のリズムに合わせて、足を振り、コンビニへ向かう。
吐く白い息だけが、世界で動いて見えていた。止まった世界を、自分のペースで歩く。これはもしかしたら世紀の大発見をしてしまったかもしれない。
家からコンビニはさほど離れておらず、深夜でも外に明かりを漏らしながら営業しているコンビニが、すぐに見えてくる。
コンビニの周りには、普段は学生が溜まっているのだが、それすらも居ない。スポットライトを浴びたみたいに光るコンビニに、吸い寄せられるように入っていった。
「しゃーせー……」
やる気のない声が聞こえてくる。金髪の、女の子が、おにぎりコーナーで気だるげにゴミ袋を持って作業していた。
女の子なのに大変だな。決して男女差別の意識がある訳ではないが、なんとなくそう思ってしまったことに恥ずかしく感じ、俺はレジへと向かう。
そうすると、作業をしていた女の子がレジに入ってきた。
「コーヒー」
可愛い。まるで子役か何かみたいだと思った俺は、恥ずかしくなってつい無愛想な注文の仕方をしてしまう。
「あー、夜はコーヒーやってないっすよ」
女の子は、そう言ってレジ後ろに置いてあるコーヒーメーカーを指した。なるほど、何か管が出ていて、大きな音と煙を出しながら、コーヒーメーカーはメンテナンス中という訳だ。
大げさな動作をする女の子だなと思ったが、俺がイヤフォンをつけているせいだと気づいて、イヤフォンを探した。
その様子を見て、女の子がちょっとだけ笑う。
「ごめん……なさい。深夜にコーヒーって、そんな、そうですよね。缶コーヒーにしますんで」
「別に良いのに」
俺は急いでレジの近くに置いてあったホットドリンクコーナーからブラックコーヒーを持ってきた。待たせたら悪いと思ったのだ。
「そんな急がんでも良いのに。気を遣わないでよ」
「そういう訳には」
「こんな時間にただの缶コーヒーの買い物。お兄さんこの辺に住んでるんでしょ」
「はあ」
「だったら、多分また会うことになるっしょ。そういうの、面倒臭いから夜勤やってんだ」
女の子はそう言った。
「128円です」
「あ、じゃあこれで……」
俺はスマートフォンを差し出して、電子決済を済ませた。
「ありゃっしたー」
女の子は、コンビニでよく聞く適当なありがとうございましたを言う。コーヒーを受け取って、お店を去ろうとした。
「ねえ、お兄さんってこの辺に住んでるんだよね」
「そうですけど」
「あんまり見たことないなーって。もしかして、夜出歩くのが珍しい真面目さんだ」
その通りである。夜に出歩くなんてことは、普段しない。しかし、それを真面目と言われるのには疑問が残った。そして、つい、振り向いて話し込んでしまう。
「別に真面目じゃないですよ」
「そうは見えない。少なくともテキトーに生きてる私よりは、よっぽど真面目さんに見えるね」
「今日だって、明日がなんとなく嫌になってフラッと出てきちゃった訳で……」
「そりゃ悪いやつだ」
「だから、俺は真面目では無いですよ」
ついうっかり否定してしまった。何やってんだろ。
「えっ、なんで必死に否定してんの。真面目でいーじゃん。羨ましいけどね、真面目」
女の子が、だらけるように、レジの奥の棚に腰をかける。
「私も、もうちょい真面目だったらなーって思うことあるよ」
「働いてるのは、真面目だからじゃないんですか?」
「アッハハ、そうかも。確かに。あるわー。私、真面目だから働いてんだわ。ウケる」
笑った。やっぱり俳優か何かだろうかと思うくらい可愛い。
「コンビニの夜勤やってるとさ、色んな夜の住人と顔を合わせるのよ。皆面白いよー。死んだ顔してる人も多いけどね。お兄さんはお兄さんで、つまらなそうな死んだ顔してるわ。毎日大変なんだね」
「はは……」
どう返して良いかわからない。
「夜はどうだった?」
唐突に聞かれて、言葉に詰まった。
「楽しかった。……うん、楽しかったよ」
「へえ」
「開放感とか、全部が止まった街とか。なんだか楽しかったかな」
「そっか。それは何よりっすわ。またコーヒー買いに来てよ。私も面白かった。深夜でも明るく営業のこのコンビニをよろしく」
「覚えておきます」
女の子と別れて、温かいコーヒーを手に持ち、俺は帰路に着いた。
変な子だったな。
変な子だったけれど、その変な子に言われたことを思い返しながら歩く夜は、また一層不思議な世界で、不思議な充足感を与えてくれた。
「また、気が滅入りそうになったら、夜散歩しても良いのかもなあ」
そう声に出してつぶやいても、誰も聞いていない。
静かな夜の住宅街で、俺はコーヒーの蓋を開けた。
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